(2018年5月時点)
シンガーソングライター
子どもの頃の夢は漫画家かシンガーソングライターかお坊さん 社会福祉の職を最後にアーテイスト業に転職。
中国公演を経て1996年、吉本興業福岡音楽部門(現よしもとクリエイテイブ・エージェンシー)より九州初のミュージシャンとしてCDデビュー。
各地でコンサート活動を展開、お笑い芸人さんとのコラボ舞台もこなし、吉本の番組のエンデイングテーマ曲として楽曲起用されたり、ラジオでは自身の番組を長年続けている。劇音楽の分野でも活躍しており2004年には音楽を担当した劇団道化の作品「しょうぼうじどうしゃじぷた」が上海国際芸術祭で最優秀賞を受賞。
2005年には福岡西方沖地震で被災した玄界島への応援歌「僕のふるさと玄界島」を作り復興を支援し、島から感謝状が贈られた。
2007年からは重症筋無力症とういう難病と闘うファンとの出逢いから命のコンサート「さまざまな命の物語」を各地で開催、病気と闘う人々や家族の思いなども多く歌にして現在に至る。※佐賀県では生後三日で天国へ旅立った赤ちゃんのご両親の思いが「一輪の花」という歌になりメデイア等でも大きく取りあげられた。
各地で暮らす人々の思いや命の輝きを自らの足で歩み歌にして時代に刻んでおり長崎県対馬の廃校目前の中学校の生徒たちの思いを歌にした「加志々が好きなんだ」は2014年3月2日対馬の地に歌碑が建てられた。※この歌に纏わる対馬での取り組みを追った対馬CATVの番組が第37回日本ケーブルテレビ大賞番組アワード最優秀賞を受賞した。
2015年2月8日には鹿児島県の長島に「だんだん!諸浦島」の歌碑が建てられた。※この歌の制作過程はKTS鹿児島テレビがドキュメント密着で半年間に渡り放送された。
この年2月11日に久留米市よりくるめふるさと大使を委嘱。
戦艦大和に纏わる歌「大和桜」を書き上げ、戦後70年各地で平和記念事業 番組出演 ドキュメント密着を受ける。
韓国の恩人を捜すために「チングヤー」という歌を書きあげ数年前から熱心に韓国へ足を運び日韓交流活動にも力を注ぎ韓国でのライブも展開しており、日韓友好、ユネスコ登録を願い作詞作曲した歌「朝鮮通信使」役割を担いながら九州を拠点に日本全国、海外での活動に目が離せないオンリーワンスタイルのシンガーソングライター。