ものづくり

久留米は、久留米絣や籃胎漆器などの伝統工芸品や、「からくり儀右衛門」と呼ばれた東芝の創業者である田中久重などが培ってきた、ものづくりの精神が受け継がれてきたまちです。

近代以降は、アサヒシューズ(株)や(株)ムーンスターの前身が発案したゴム底の地下足袋、(株)ブリヂストンによるタイヤの製造など、世界に誇るゴム産業のまちとして発展し、現在は自動車産業やバイオ産業の集積も進んでいます。

久留米絣

久留米絣 (1) 久留米絣

昔ながらの染めと織りの技法が、素朴な風合いのかすれ模様を生み出す久留米絣。糸の柄になる部分を紐で縛る「くくり」の後に藍染めし、30にもおよぶ工程を経て布となります。

洗うほどに風合いのでる絣は、今の暮らしにも調和した新しいデザインの商品も生まれ、海外でも高く評価されています。

籃胎漆器

籃胎漆器

薄い竹ひごを編んで作った竹細工に、幾重にも漆を塗り重ねて磨いた籃胎漆器。「竹かごを 胎む」を意味し、明治初期に旧久留米藩の塗師と籠細工師の技術により生み出されました。丈夫で軽く、長くも使え、普段使いの道具やインテリアとしても人気です。

ゴム産業

JR久留米駅

久留米市は日本のゴム産業発祥の地といわれています。1923年(大正12年)「日本足袋」(現アサヒシューズ)と「つちやたび」(現ムーンスター)が、労働者の履物として使われていた滑りやすい足袋を改善しようと、ゴム底を貼り付けた地下足袋を開発しました。全国的な大ヒット商品となり、足袋製造業からゴム製品製造業へと業態を移行。ゴム靴の生産・輸出を開始しました。1930年(昭和5年)頃には、「日本足袋」が自動車用タイヤの試作に成功。翌年、同社の石橋正二郎が設立した「ブリッヂストンタイヤ」は、世界のトップメーカー「ブリヂストン」としてその地位を築き上げました。現在も多くの関連企業が立地し、様々なゴム製品が作られています。

城島瓦

城島瓦

「関ケ原の戦後、丹波の国より有馬公が瓦工を伴いて、筑後に封ぜられてより瓦業興る」と文献にあるように、江戸時代から400年以上の歴史があります。藩主として入城した有馬氏と共に久留米入りした瓦工が、良質な大量の粘土と、筑後川の水運に目を付け、瓦の製造を始めたことが起源とされています。やがて城島瓦は、特徴である”いぶし銀”の優美な光沢と格調高い姿形、優れた耐久性から、各地の神社仏閣・日本家屋などに使われ、日本三大産地のひとつとしてその名を知られました。現在、タイルやコースター、食器、花器など、モダンで身近な小物で新たな魅力も発信しています。市内各地に鬼瓦のモニュメントがあるので、訪ね歩いてみてください。

からくり人形(文字書き人形)

からくり人形

「からくり儀右衛門」の愛称で親しまれている稀代の発明家、田中久重の作品。「弓曳き童子」や「万年時計」などの高度なからくり人形のほか、久留米絣の作成に貢献し、日本の蒸気機関の先駆けとなるなど数多くの功績を残しています。

関連サイト

久留米物語(久留米観光コンベンション国際交流協会サイト)

(C)久留米シティプロモーション

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